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ダビデ王関連遺跡:ツィケラグ発見か 2019.7.16

 2019-07-16
聖書に登場するダビデ王は、紀元前10−11世紀の人物だが、意外にその考古学的証拠は少ない。このため、ダビデ不在説なども存在する。

しかし、それを覆すように発見されたのが、2008−2013年にかけて発掘された、エラの谷に面する丘の上にあるキルベット・カイエファであった。聖書では、シャアライムという名で登場し、ダビデが巨人ゴリアテを倒す前に、サウル王からよろいを着せられた軍事拠点であった可能性がある。

今回、ヘブライ大学などのチームによって発見されたキルベット・アライは、この町と同じ時代とみられる遺跡で、聖書に登場するツィケラグではないかと考えられている。発掘は2015年から始められていた。

聖書(第一サムエル記27章)によると、ダビデが、サウル王から逃げていた時、ペリシテ人でガテの王、アキシュが、ダビデにこの町に住むことを許可し、ダビデは部下たちとともに、この町に住んだ。

その後、ダビデたちが、イスラエル(サウル王)と戦うためにアキシュとともに、途中まで従って行った間に、アマレク人に焼き払われている。

場所は、アシュケロンに近く、キリアット・ガットとラキシュの間に位置する丘の上で、紀元前11−12世紀にさかのぼるペリシテ人の時代のツボやオイルランプなど、1000個以上も発見された。ダビデの時代に特有の食器も発見されている。

シャアライムが、ガテに面し、ツィケラグは、アシュケロンに面しているところからも、当時のイスラエルとペリシテの対立する地理的な様子を彷彿とさせる貴重な遺跡である。

https://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-5546496,00.html
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ペリシテ人とは何者か:初の墓発見でDNAから判明 2019.7.8

 2019-07-08

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アシュケロンの発掘現場 写真出展:times of Israel

イスラエル南部、ガザの隣、アシュケロンは、聖書でイスラエルの敵として描かれているペリシテ人の町である。2016年にアシュケロンで、ペリシテ人の墓が見つかり、そこに埋葬されていた遺体からDNA検査が可能となった。

ペリシテ人たちは、ちょうどイスラエル人がモーセに率いられてエジプトから脱出してきたころと同じ紀元前12世紀ごろ、今のイスラエルに入ってきて落ち着いた、「海の民」のグループの一つと考えられてきた。

「海の民」とは、地中海沿岸に住んでいた人々で、同時北アフリカからイスラエル地域を支配していたエジプト各地に侵入を試みた人々である。ペリシテ人は、その海の民の一派で、今のイスラエルの地域に定着したグループであると考えられていた。

これまで、ペリシテ人については、その居住の遺跡などから、その生活様式や文化はわかっていたが、ペリシテ人自身の根源については、まだ確証がなかった。

今回、発掘された墓でみつかったペリシテ人のDNAと、それより古い時代のカナン人のDNAを比較調査したところ、ペリシテ人は、予想されていた通り、紀元前12世紀ごろ、南ヨーロッパから来た海の民であった。

しかしその後、現地カナン人と混血して、まもなく海の民の痕跡は失われていった。これに伴い、オリジナルのペリシテ人の文化や言葉も失われていき、現地カナン人になっていたとのことである。

ペリシテ人の遺跡で代表的なのは、紀元前7世紀ごろの「エクロン碑文」である。エクロンは聖書にペリシテ人の町として登場しているが、その町が実在していたことの物証である。このエクロン碑文の中に出てくる女神が、南ヨーロッパに起源を持つという。

https://www.timesofisrael.com/know-thine-enemy-dna-study-solves-ancient-riddle-of-origins-of-the-philistines/

また、碑文は、王の祝福を祈る文章が書かれているのだが、それが、申命記6章24節の祭司の祈りによく似ているとのことで、イスラエル人の影響も受けていたことがうかがえる。

https://www.baslibrary.org/biblical-archaeology-review/24/5/15

余談になるが、ペリシテ人は、アシュケロンから、テルアビブ近辺までの地中海沿岸沿いに多くの町を持っていた。ペリシテ人の遺跡からは、ビール工場や、ビール関連の食器が多くみつかっている。ビーチでビールを片手に楽しく過ごしていたことがうかがえる。

興味ふかいことに、今のテルアビブは、ユダヤ人の町になったが、今もビーチとビールが大好きである。

*アシュドドのペリシテ博物館(筆者のお気に入り博物館) http://www.phcm.co.il/en
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バビロンが世界遺産に登録:イラク 2019.7.8

 2019-07-08

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写真:イシュタル門 出展:BBC

今年はアゼルバイジャンで開かれているユネスコの会議。日本では、大阪の仁徳天皇陵などの古墳群が、世界遺産に登録されたとニュースをにぎわしている。ユネスコはまた、イラクのバビロンなど34カ所を世界遺産に登録した。

バビロンは、紀元前2000年にまでさかのぼるメソポタミア文明で、バベルの塔、イシュタル門、世界7不思議の一つでもある空中庭園などで知られる。バグダッドから南100キロのユーフラテス川周辺の広大な遺跡である。

この地域は、紛争地帯で、サダム・フセインが近くに宮殿を建てるなどして、脆弱な状況にはあるが、イラクの要請で、世界危機遺産としては登録されなかった。

https://www.bbc.com/news/world-middle-east-48888893

<石のひとりごと>

聖書は、宗教のいわゆる教えの書ではない。聖書は、実際に存在した地球上の国々や場所、歴史で実在した国や人々の記録である。その実在の歴史を通して、天地創造の神はどういう神なのか、その神の前に、人間は何者かを示しているのが聖書である。

聖書考古学の発見は、聖書が実在のことがらを記しているのであり、真実であることを裏付ける物証ということである。
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聖書登場人物のブラエ新発見:ダビデの町 2019.4.1

 2019-04-01
エルサレムのダビデの町、ギバティ駐車場発掘現場から、また聖書に登場する人物の名前が記されたブラエが発見された。

ブラエとは、巻物をとめるためにくくった紐の結び目に止める小さな直径1センチぐらいの粘土石のことである。粘土が柔らかいうちに、人物の名前が彫り込まれた印を押して、その巻物の持ち主、または権威者の名を記すものである。日本でいうならはんこのような意味合いがある。

粘土なので、バビロンによって町が焼かれた際には、さらに強固になるため、長い年月を超えて保存されている。貴重な考古学資料である。

ダビデの町からは、これまでにも、ヒゼキヤ王はじめ、エレミヤ記に登場する書記官、シェレムヤの子エフカル、パシュフルの子ゲダルヤ、シェレムヤの子ユカルなどのブラエが発見され、聖書の記載が事実であることを証明している。

今回、テルアビブ大学の発掘によって、みつかったのは、第一神殿時代の紀元前8世紀、今から2600年前と推定されるブラエで、一つは、「マタニヤフの子イカル」と彫られた青い石。

バビロンによってエルサレムが破壊されたとみられる大きな部屋の発掘現場から発見された。その場所の様相から、一般の人々の家ではなく、王族、または政府高官の場所であることがわかっている。

もう一つは、「ナタン・メレク、王のしもべ」と記された黒っぽいブラエである。ナタン・メレクは、第二列王記23:11に、ヨシヤ王の宦官の一人として登場している。

聖書は紀元前586年に、エルサレムがバビロンによって破壊されたことを記しているが、それが歴史的な事実であるということである。

https://www.timesofisrael.com/two-tiny-first-temple-inscriptions-vastly-enlarge-picture-of-ancient-jerusalem/
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総督ピラトの指輪発見か!? 2018.12.05

 2018-12-05
ハヌカとクリスマスの前に、重要な考古学的な発見があった。ベツレヘム近郊のヘロデオン(ヘロデ大王の墓で宮殿の遺跡)で、50年前にみつかっていた銅の指輪が、総督ピラトのものである可能性が出てきた。

総督ピラトは、イエスを十字架刑につけることを許した当時、エルサレムを統治していたローマ帝国の総督である。

この指輪は、50年前に、ヘロデオンで発見されたものの、そのままになっていたもので、考古学者ポラット氏がよく磨いてみるよう指示したところ、ちょっとゆがんだ文字で「ピラトのもの」という文字が出てきたという。

ただし、ピラトという名前は、ユダヤ人でもローマ人でもありうるため、新訳聖書に出てくるポンテオ・ピラト提督かどうかは、完全には特定はできないという。指輪が金ではなく銅であり、それほど高級ではないことも注目される点である。

しかし、この指輪が見つかった場所が、ヘロデオンという王家の敷地内であったことや、ピラトが、日常の業務用には、金ではなく銅の指輪を使っていた可能性もあることから、ポンテオ・ピラトのものである可能性を否定することもできない。

もし、ピラトのものであれば、新約聖書に登場するピラトが実在したことを証明する2つ目の考古学的証拠となる。

一つ目は、ピラトという名前が彫り込まれている石板で、カイザリヤのヘロデ大王が使っていたとみられる宮殿跡近くで発見された。

ヘロデ大王、総督ピラトが実在していたということは、新約聖書が現実の話を記録したものであるということであり、イエスもまた確かに実在したということにつながる。福音の確かさを証明する貴重な証拠の一つになりうる発見である。

https://www.timesofisrael.com/2000-year-old-ring-engraved-with-pilate-may-have-belonged-to-notorious-ruler/
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