スコテ(仮庵):新しい出発 2017.10.8

 2017-10-08
イスラエルでは、10月4日の日没から、仮庵の祭に入った。この後続いて安息日にも入ったため、交通も店も稼働しない日が続き、すっかり休日ムードである。すごしやすい気候の中、夜も昼も、屋外に建てた仮庵の中で食事する食器の音や楽しげな家族たちの声が町中で聞こえている。

8日(日)は、例祭の中日となり、祭司の祈りがささげられるため、嘆きの壁広場は再び、人でぎっしりと埋めつくされる。例のごとく、治安部隊はテロの防止に目を光らせてくれている。

イスラエル政府は、先月のハル・アダールでのテロ事件(イスラエル人3人死亡)が、イスラエル国内での労働許可を持っていたパレスチナ人によるものであったことから、今年は仮庵の例祭の7日間全期間、西岸地区からの入国を、労働許可を持っているパレスチナ人も含め、全面的に禁止すると発表した。

しかし、パレスチナ人労働者に加え、イスラエル人雇用主からの要請もあり、結局1万人は入国することになったもよう。

https://www.haaretz.com/israel-news/.premium-1.815908

<スコテとは何か>

仮庵の祭は、スコテと呼ばれる。スコテは、非常に脆弱で無防備な仮庵のことだが、その他、出エジプトを果たしたヘブル人たちが、最初に宿営した場所の名前でもある(出エジプト12::37)。ヘブル人たちは、ここで種無しパンを焼き、ここから奴隷ではない新しい歩みを始めた。

しかし、スコテは、全く何もない砂漠である。いつ襲われてもおかしくないような脆弱きわまりないスコテで寝るはじめての夜。喜び勇んでエジプトから出て、自由になったものの、ここで初めて厳しい現実に直面することになったヘブル人たちは、いったい何を考えただろうか。

もはや、自分の力にはたよれず、これから何が待っているのかもさっぱり見えない。どこへむかっているのかもわからない。これから彼らを守るものがあるとすれば、彼らを導き出した神、主でしかない。しかし、主は目にはみえるお方ではないし、何を考えておられるのかもわからない。

人間的には、非常に恐ろしい状況だが、このスコテの祭では、イスラエル人は、とにかく喜ぶよう命じられている。目にはみえずとも、全世界の総司令官でもある創造主自身が、彼らをエジプトから導き出したのだから、主ご自身がこれからも必ず守り、導かれるはずだからである。

実際、聖書には、神はここスコテで、彼らのために、寝ずの番をされたとある。(出エジプト12:42)

ユダヤ教では、この例祭期間中、聖書の中の”伝道者の書”を読むことになっている。この書物は、「空は空。いっさいは空である。日の下で、どんなに労苦しても、それが人(アダム)に何の益になろう。一つの時代は去り、次の時代が来る。しかし地(アダマ)はいつまでも変わらない。」と一見、ネガティブな感じで始まっている。

ユダヤ教によると、この書物のキーワードのひとつは、「アダム」(人間)と、「アダマ」(土)という、ヘブル語では同じ”根”を持つ言葉である。

土は、それだけでは、何かをなすことはない。しかし、土は、すべてを生み出す力も秘めている。神が土から人を、様々ま動物や植物を創造されたのである。人も同じで、人自体は、何かをなすことはできないが、神がそこからすべてを生み出させる力も秘めているということである。

スコテは、イスラエルの新しい出発の地だった。ヘブル人は、あまりの無力さに震えていたかもしれないが、彼らは、神によってすべてを生み出す可能性も秘めていたということである。仮庵の祭(スコテ)は、全くの無から、すべてが生み出される新しい出発という意味もあるという。

http://www.aish.com/h/su/tai/48961266.html

仮庵には、この他にも終末にかかわることなど、様々な深い意味があるが、それらをいちいち知ることもなく、とにかく神に命じられたままに仮庵を作り、毎年喜び楽しんでいる現代国家イスラエル。この国は、やはり聖書の神がおられることを証する祭司の国であり、けっして侮ってはならない国だと実感させられている。
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ヨム・キプール(大贖罪日):国をあげて神の前に出る 2017.9.30

 2017-10-01
イスラエルでは、29日、日没午後6時から大贖罪日(ヨム・キプール)に入った。その前夜までの”スリホット”(ヘブライ語で、謝罪)で、告白してきた罪に関してヨム・キプールは、いわばその判決を受け取る日である。

この日、統計によると、ユダヤ市民(成人)の90%近くが、29日(金)午後6時から、30日(土)午後7時までの25時間、水も飲まない完全断食を行い、神を意識する。当然、レストラン、商業施設はすべて閉店。バスなどの公共交通機関はもとより、個人も車の運転を控える。

国営放送も停止している。イスラエルに民間放送はないので、30日日没まで、テレビもなし。ネットのニュースもストップしている。

29日、日没後は、コール・ニドレと呼ばれる特別な礼拝が行われる。人々は、日没後、居住区最寄りのシナゴーグに行き、夜10時すぎぐらいまでを過ごす。それまで、12歳以下の子供達は、ガラガラになって”安全”な道路で、自由自在に自転車をのりまわして遊ぶというのが、ヨム・キプールの風物詩である。

今年は、安息日と重なった。通常の安息日なら、金曜夜は、夕食を終えたあとに、遅くまでサッカーを楽しむ声が聞こえるのだが、さすがに今夜はそれもない。静まりかえった中、子供達が、自転車や三輪車などを乗り回す声が聞こえはじめている。

一方で、イスラエルは、この聖日に合わせ、西岸地区からのパレスチナ人の出入りを制限し、エルサレム、特に旧市街の警備を強化して、治安の維持にあたっている。休日に休んでいない治安部隊もいるということである。

<罪を神の前に告白するということ>

大贖罪日の祈りは、「ビドゥイ」と呼ばれ、自分の罪を神の前に言いあらわし、告白するというところから始まっている。このため、白い服を着る人が多い。

ユダヤ教では、この祈りの際、前に頭を下げてはならないと教える。自分が、悪いことをしたと思ったら、どうしても頭を下げてしまうのだが、そうではなく、まっすぐ顔をあげて、神の前に出て、胸をたたきながら、声にだして、罪を告白せよというのである。神の前に隠し立てや、とりつくろいをしないためである。

しかし、この日、神の前に顔を上げるためには、実際には、この日までに、それぞれが自分の罪を自覚し、悔い改めているというのが前提になっている。また。だれかを傷つけたことを思い至ったら、まず、その人に対して謝罪し、関係の回復をしておかなければならないと教える。これができていてはじめて、ヨム・キプールの日に、神の前に出て、神の赦しを求めることができるのである。

ラビ・フォールマン(現代正統派)によると、ユダヤ教の賢者ラビ・ランバンは、正しい悔い改めは4つのことからなると教えた。①罪から離れる決心(現在)。②同じ罪を繰り返さないと決心する(未来)。③犯した罪について真に後悔する(過去)。④罪を告白する、の4つである。

このうち、①〜③は、自分の内面でのことだが、④だけは、相手がある。ユダヤ教では、この④だけが、”ミツバ”(613箇条の律法)に含められているという。それは、④だけが、崩れていた関係を実際に修復することになるからである。

この時、大事なことは声に出して罪を悔い改めるということである。相手がある場合、声に出して罪を告白し、謝罪しなければならない。それによって、関係が回復し、未来を変えていく力になるのである。口に出して告白し、関係の回復を得る。これは、神との関係回復の一歩においても同様である。

ユダヤ教から発したキリスト教にもこの教えは反映している。「人は心に信じて、口で告白して救われるのです。(ローマ人への手紙10:10)」

<赦しの代価について>

聖書によると、かつてエルサレムに神殿があったころ、年に一回、ヨム・キプールの日に、牛が殺され捧げものになり、赦しの代価としていた。しかし、今は、神殿がない。あってもおそらく、生き物保護の観点から、牛を殺すことに反対するというのが、現代のイスラエルスタイルであろう。

現代においては、一部の超正統派は、鶏を頭の上でふりかざして(カパロット)、それを罪の代価にするが、多くのイスラエル人は、鶏の代わりにお金を代価として、チャリティ団体などに寄付をする。最近は、超正統派でも、鶏ではなく、お金を捧げるスタイルが増えてきているという。

ヨム・キプール前夜、エルサレムの超正統派地域メア・シャリームにカパロットの取材に行くと、世俗派とみられるイスラエル人たちが見物に来ていた。聞くと、それぞれ、「俺は鶏をささげた」「私はお金よ」とそれぞれが言っていた。世俗派なのだが、この日の行事は実施しているようである。

この罪の代価の背景にあるのは、”犠牲をはらう”という概念である。ユダヤ教では、鶏やお金を代価にすることに合わせ、ヨム・キプールの日1日を断食して苦しむこともその一環と考えられている。確かにこの乾燥した国で水も飲まないというのは、なかなか苦しいことである。実際には寝て過ごす人も少なくない。

また、大贖罪日の前10日間は、悔い改めのスリホットと呼ばれる祈りが捧げられるが、これは、夜中0時から1時と決められている。本来寝ている時間をいわば犠牲にして、祈るところに意義があると考えられている。

この点において、キリスト教は、牛ではなく、神の御子であるイエス・キリストが犠牲となり、十字架にかかって、人類のために死に、その後よみがえって、罪の完全な赦しの道を作ったと教える。言うまでもなく、ユダヤ教はこれを信じていない。

<終末に来るイスラエルの国家的悔い改め>

聖書には終わりの時に、イスラエルは世界諸国に攻められるが、その中で、イスラエル人が神の前にいっせいに悔い改める様子が描かれている。

・・・その日、わたしはエルサレムに攻めてくるすべての国々を探して滅ぼそう。わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に恵みと哀願の霊を注ぐ。

彼らは自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くようにその者のために激しく泣く。・・・・その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる。(ゼカリヤ書12:9−13:2)

大贖罪日とその前のスリホットの期間、嘆きの壁の前で、ユダヤ人の大群衆が、神に泣き叫んで祈りを捧げるが、その様子は、まさにこの時の準備であると感じさせられる姿である。

嘆きの壁の大群衆と、それを警護する警察の様子:http://www.jpost.com/Israel-News/Thousands-gather-at-Western-Wall-ahead-of-Yom-Kippur-506306

<石のひとりごと>

ヨム・キプールの前夜、つまりは、悔い改めの最終日、近所のシナゴーグのスリホットを取材した。男性は下、女性は上と別れる。下の男性たちは、100人前後だろうか。黒服に黒帽子、髭をのばした老人、編んだキッパをつけた小太りの中年男性、白髪の老人、これらにまじって、野球帽を逆さまにかぶり、穴の空いたジーンズ姿の少年たちも一緒に神の前に出て、真剣に祈っていた。

イスラエルは、この現代においても、この日は、聖書に記された通り、国をあげて、聖書の神の前に出る。その礼拝の様子には、年配スタイルも若者スタイルもない。

欧米系か、東方系かによる違いはあるものの、基本的にこの日の礼拝は、昔からほとんど変わっていない。それでも、いわゆる”若者離れ”はまったくない。

若者も年配者も、この神の前にあっては、少なくともこの日だけは、すべてが罪人であると意識する。結局のところ、この神との関係を維持することこそが最も大事なことであるということを覚えざるをえない国。それがイスラエルである。しかし、それこそが今もイスラエルを守り、不思議に強くしているのである。

この点、日本には、こうした絶対の神が存在しない。だから平気で「神対応」とかいった言葉が氾濫する。さらに最近、ある記事を見て震え上がった。「バルス現象」というもので、ツイッターで一斉に「バルス!」という呪いのことばを発信するという現象である。

バルスとは、「閉じる」とか「滅び」「破壊」を意味することばで、テレビで、天空のラピュタが放送される時に、主人公が戦いでバルスというタイミングに合わせて、いっせいに「バルス!」とツイートするという現象である。天空のラピュタが放送される時は、「バルス祭り」と呼ばれている。

この現象は2011年から始まっていたらしく、2013年には、1日のツイッター量が431万4588回と、世界記録にも達したという。あまりにも多数のツイッターが殺到するので、実際にサーバーが破壊されたこともある。そのバルス祭りが、この9月29日、ちょうどイスラエルがヨム・キプールに入った日に行われた。

今回の放送日のあった29日のツイッター数は、2013年よりは激減し、188万5599回だったらしいが、ここ数年、「閉じる」とか、「破壊」といった呪文が日本中に流れていたのかとおもうと背筋が寒くなった。

https://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ27HWF_Y7A920C1000000/

一方、今、エルサレムでは、9月20日からトム・ヘス牧師が開催する祈りの祭典が行われており、今年も日本から富田慎吾牧師を中心に16人の若い世代のグループが参加している。祈りの期間は2週間。毎日夜中に起きて日本やアジアのためにとりなしている。日本チームが来始めたのは、ここ3年ほどのことである。

彼らの祈りを聞くと、「開く」とか「門から入る」とかがキーワードとなり、絶対の神、聖書の神、イエス・キリストの犠牲による罪からの救い、すべての呪いからの解放が日本の上に宣言されている。バルス現象の「閉じる」とか「破壊」という呪いを押し返してくれているようである。

若い人々が、経済も時間も捧げ、エルサレムまで来て、夜も寝ないで祈る姿は、イスラエルの大贖罪日に犠牲を払おうとするユダヤ人の姿に匹敵するようでもある。まさに、「ダビデの幕屋」を日本にももたらそうとする姿だと感じた。多くの犠牲をはらって家族連れで毎年来られる富田慎吾師とそのチーム働きに感謝した。
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新年はアウトドアで:イスラエル人 2017.9.22

 2017-09-22
イスラエル国内での新年は、静かで、家族の幸せそうな食事の音や、日中は、時々、遠くで角笛が聞こえるといった穏やかな祭日となっている。

エルサレム市内は、日中、交通もかなり少なく、住宅地は静かだが、旧市街では、ダビデの町や、嘆きの壁トンネルなど、ユダヤ系のアトラクションが閉まっているせいか、オリーブ山やキリスト教系の観光地が、かなりの混雑になっていた。

アウトドア派の多いイスラエル人である。心地よい気候の中、全国の国立公園を訪れた人は7万人にのぼった。北部高地では、”初日の出”を見ようとするバイカーたちが200人いたという。

https://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-5019471,00.html

<罪を振り捨てる儀式:タシロアハ>

テルアビブのビーチでは、21日、タシロアハと呼ばれる儀式が行われた。

タシロアハとは、新年初日の日没前に、海や湖などに向かって角笛を吹き、ポケットからパン切れを海や湖などに向かって投げ捨て、昨年までの失敗や罪を放り出すという象徴的な儀式である。

これについて、ユダヤ教では、罪はこのように振りすてられるものではないが、この時に深く自己反省し、それを改める決意、つまりは悔い改めをする時であると教える。

13世紀から始まった週間とのことだが、ミカ書7:19を基盤においている。詩篇33,130を読む人もいる。

http://www.myjewishlearning.com/article/tashlikh/

新年の習慣について:http://www.aish.com/h/hh/rh/guide/48939217.html 
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悔い改めの季節:秋の例祭シーズンスタート 2017.9.19

 2017-09-19
今年もイスラエルの秋の例祭シーズンが始まる。新年祭(聖書的には角笛を吹き鳴らす日)に始まり、ヨム・キプール(大贖罪日)、仮庵の祭と続く。大型連休でもあり、海外旅行に出かけるイスラエル人も多いが、政府からじゃ今の所、トルコは渡航要注意との警告が出ている。

イスラエル国内の日程とだいたいの動きは以下の通り。

1)ローシュ・ハシャナ(新年)ー9/20-22 安息日も入れて23日まで3連休

2)ヨム・キプール(大贖罪日)ー9/29-30 断食する人は多いが、家で寝る日と決めている人も多い。超正統派は牛の代わりに鶏を捧げる儀式を行う。

3)スコット(仮庵の祭)ー10/4-11、最終日の10/11は、ホシャナ・ラバ(仮庵最終日)で 柳をふって残っている罪を捨て去る儀式を行う。

4)シムハット・トーラー(シェミニ・アツェレート)ー10/12

*この後、10月13日が再び金曜なので、安息日が続く。このため、社会が通常運営に戻るのは、10月15日(日)ということになる。この時期、学校は休みで、官公庁等も開いたり閉まったり。バスも削減運転で、これからイスラエルは、1ヶ月近く、しばらく祭日気分の日が続くことになる。

<悔い改めと赦し合いの季節>

秋の例祭は、実は、「新年」ではない。本来の新年、つまり1年のうちの第一の月は、今ではなく、過越の祭のある春頃である。秋の例祭があるのは第7の月でありため、聖書は「新年」ということばを使っていない。

現在に至る「新年」の概念は、神殿崩壊後のラビ的ユダヤ教になって以来と思われるが、今ではすっかり定着し、日本と同様、家族、親族がそろって”縁起の良い”「魚の頭」を食べたり、甘いはちみつとりんごなど、甘いものを食べて”翌年”の祝福を願うまさに「新年」になった。

しかしながら、レビ記23章で、聖書が示す秋の例祭のテーマは、「神に会う」ということである。

秋の例祭の最初、つまり「新年」と呼ばれる日には、角笛を吹くよう命じられている。これは、「もうすぐ主が来られる。自分を振り返り、罪があれば今のうちに悔い改めよ」という呼びかけである。

ユダヤ教では、神の前に出る前に、まず傷つけた相手に謝罪し、人間どうしの和解が必須だと教える。それができてはじめて、神の前に出ることができるというのである。

この10日後にヨム・キプールが来る。かつてエルサレムに神殿があったころは、この日に、大祭司が至聖所に一人で入り、罪のあがないをした。そうして、神の審判を受け取ったのであった。一般的なユダヤ人たちの中には、”来年”がどんな年になるのかの判決が出ると考える人もいる。

そのヨム・キプールの4日目から、7日間の仮庵の祭りが始まる。この仮庵は、神に赦された者だけが、天幕の中で、神と共に親しく過ごす”婚礼の週”とされている。

その最終日のホサナ・ラバの日、ユダヤ人たちは、この日までに残っていた罪はすべて赦されるとユダヤ教は信じる。敬虔なユダヤ教徒は、この日、オリーブ山に行き、柳の枝をふりつつ、「生きた水」である主を呼び求める。

その翌日、シムハット・トーラーとなり、神ご自身でもある聖書を受け取ったことを喜び踊る日、シムハット・トーラーになる。ラビは、これこそ最終的な解放であり、最高の喜びの時だと語る。

この流れは、ユダヤ教ででもキリスト教も、終末の出来事を主が示したものととらえている。双方とも、これから世は混乱に向かい、最終的な裁きにむかっていくが、その前にメシアが来て、多くの者を救うと考えている。

これについて、イエス・キリストを信じないユダヤ人はメシアが初めて来ると考えているのに対し、クリスチャンたちは、前に一度来たキリストがもう一度来る、「再臨」だと信じている。再臨する地はオリーブ山である。

*CGNTVオリーブ山便りでの秋の例祭の特集:ラビの終末論含む:

https://www.youtube.com/watch?v=xjTGfrHCeD0&list=PL4yw3tdsZsBxuQUd5RBO-EvmoO0-R5_vr&index=4

<スリホットで嘆きの壁は連日超満員>

スリホットというのは、ヘブル語で赦しという意味である。アシュケナジ(欧米系)ユダヤ人は、この16日の安息日あけから、嘆きの壁やシナゴーグでの罪の悔い改めを本格的に行うスリホットの祈りを始めた。16日夜、嘆きの壁は超満員となった。

嘆きの壁でのスリホットは、このままヨム・キプール前日まで続けられるが、当然、最終日は一番込み合う。滑り込みの悔い改めである。なお、スファラディ系のユダヤ人は、エルルの月の初めから、つまり一月近くスリホットをやっている。

http://www.chabad.org/library/article_cdo/aid/984606/jewish/Sukkot-Simchat-Torah.htm
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2017年現在:イスラエル社会情勢 2017.9.19

 2017-09-19
<イスラエルの人口推移>

毎年、建国記念日と、新年に、中央統計局から発表される統計値。今年の新年の人口は昨年より、15万6000人増えて874万3000人となった。

このうち、ユダヤ人は652万3000人で全体の74.6%にあたる。アラブ人は182万4000人で20.9%。イスラエルはユダヤ人の国だが、市民の5人に一人はアラブ人ということになる。

昨年生まれた新生児は18万1405人。出生率(1人の女性が産む子どもの数)は3.11で、OECD諸国で最高となった。超正統派、アラブ人が多産ということもあるが、出生率は日本(1.44)の倍以上になる。。

これに加えて、昨年来た移民は、2万5977人で、イスラエルの人口は着実に増加している。

また、イスラエル人は、ハッピーな人々だが、今年も国民の88%が、今の生活におおむね満足と答えた。

https://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-5018246,00.html

<チャリティの季節>

例祭といえばイスラエルではチャリティ。ユダヤ教もイスラム教も貧しい人に施すことは善行と考えられているため、例祭中は、特にチャリティ活動が盛んになる。

今年は、日々の食料にも困る家族は、全国で24万3000家族。とはいえ、ある障害者夫妻に支給された生活保護は、2人で月4500シェケル($1280・約14万円)。額面だけであれは、日本より多いかもしれないが、イスラエルでは、家賃や物価が高いせいもあり、これだけあっても食べていけないのである。

ラテット(To give) という国のフードバンクは、180のNGO、地元組織などが協力し、195箇所のスーパーマーケットに大きな箱を設置している。そこに市民が買った食料から献品していくのだが、この時期、箱はけっこういっぱいになる。それも加えて、全国105のコミュニティの貧困家庭に食料を配布する。

ボランティアは全国で9000人。子どもや、兵士、ビジネスマンなど様々な人々が参加するという。

別のNGO団体は、例祭以外から6000家族の食料支援を行っているが、新年には、その倍の13000家族に、1家族あたり380シェケル(約100ドル)の食料支援を行う。

この他にもユダヤ教関連の団体、クリスチャンの団体も例祭には特別な支援活動を行っている。

https://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-5017403,00.html
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