秋の例祭:エルサレムの風景 2016.10.15

 2016-10-15
エルサレムでは、新年祭に続いて、水曜、ヨム・キプール(大贖罪日)が終わった。終わると同時に、来週日曜の日没からはじまる仮庵の祭の準備が始まっている。

家々のバルコニーに仮庵がたちはじめた。貧しい超正統派の地域では、道路脇に、ベニヤ板で四角い小屋がひしめくように立ち並んでいるところもある。

我が家のアパート前の駐車場は、青空駐車場なのだが、ちょうど車一台サイズのスペースぴったりの仮庵が一つ、駐車中の車たちの間に出現し、ちょっと笑えた。

http://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4865779,00.html

町には、仮庵をかざるための飾り、たとえば、聖書の7種類の植物や、毎日代わる代わる仮庵に来るとされるアブラハムやエリヤの名前など、カラフルな飾りが、あちこちの店先に並ぶ。

マハネイ・ヤフダ(市場)前には、特別な大きなテントが立ち、レビ記録23:40にしたがって、仮庵に必要な4つのもの、エトログ(柑橘)、ルラブ(なつめやしの葉)、アラボット(川縁の柳)、ハダサ(茂りあった木の大枝)の即売をやっている。

敬虔なユダヤ教徒の男性たちが、混雑する中、虫めがねで傷がないか、神妙に確かめながら買い物をしていく。一つ300シェケルもするエトログはさすがに美しかった。超正統派の小さな子供たちも販売を手伝っている。

過ごしやすい気候もあいまって、エルサレムの町は、カフェもいっぱいで、活気にあふれている。加えて今週末からは、そろそろ毎年恒例の国際クリスチャンエンバシー主催、仮庵の祭カンファレンスに参加するクリスチャンたち(最大5000人)が、世界中から来始めた。今年も16日からの開催となる。恒例の市内パレードは20日。

エルサレムは国際都市である。様々な人々が、世界諸国からがエルサレムに集まってくる。こうした仮庵の祭の光景はおそらくイエス時代も同様であったと思われる。

<本来は厳粛な秋の新年行事>

イスラエルの秋の一連の例祭(新年、贖罪日、仮庵の祭)は、単なる楽しいだけの例祭ではない。悔い改めから始まり、神の赦し、審判、あがないと、ユダヤ教にとっては、多少重い厳粛な行事である。

まず、新年に吹き鳴らされる角笛は、「神の審判が近づいた。悔い改めよ。」という呼びかけである。この時から、ヨム・キプールまでの10日間は、神の審判を前に、人々が悔い改めをする最後のチャンスの時と考えられている。

この期間、旧市街の西壁(本来なら神殿)は、神の前に悔い改める人々で毎夜、ぎっしりいっぱいになる。これをスリホット(赦し)という。

ヨム・キプール(贖罪日)の前夜は最も混み合うスリホットで、深夜には、チーフラビが、えんえんと泣き叫ぶように神に赦しを乞い、群衆がそれに合意する。

そうしてヨム・キプール(大贖罪日)を迎える。この日、個々人やイスラエル、その他の諸国に対する神の審判がくだされ、それが神の書物に記され、署名(ハティマ)される。はたしてよい記録なのか、悪い記録なのかは神次第。恐ろしく厳粛な日ということである。

このため、ユダヤ人は、白い服を身にまとい、断食して、神の前にただひれ伏すのである。イスラエルでは、公共交通機関も完全にシャットアウト、一般車両もまったく走らない。また、新年からヨム・キプールまでの10日間、人々は「ハティマ・トバ(よい記録をもらえますように)」と挨拶している。


これで神の審判は終了したということになるのだが、しかし、秋の例祭での、赦し関係の行事は、ここでまだ終わらない。この5日後に7日間続く仮庵の例祭が始まるのだが、その最終日にホシャナ・ラバという日がある。

この日になってやっと、上記の神の審判を記した書物が、最終的に天に上げられると考えられている。したがって、このホシャナ・ラバまでなら、ヨム・キプールの審判の後に思い出した罪があっても、交渉すれば、なんとかまだ間に合う、赦してもらえて、書き直してもらえる、というのである。

ヨム・キプールまでの挨拶は、「ハティマ・トバ(よい記録になりますよう)」だが、その後からホシャナ・ラバまでは、「ガマル・ハティマ・トバ」という挨拶をする場合もある。つまり、最終的な記録がよいものでありますようにという意味である。

なんともイスラエルらしい発想だが、ユダヤ教では、一般的にそう信じられているようである。

<秋の例祭とユダヤ教の終末論>

仮庵の準備が進む昨日、エルサレムのナハラオットにあるアデス・シナゴーグを訪問した。このシナゴーグは、昔、シリアのアレッポにいたユダヤ人が、エジプトなどを経由してエルサレムに到着し、1901年に建てたシナゴーグである。

ヨーロッパ系アシュケナジではなく、アラブ系スファラディのシナゴグである。このシナゴーグのラビ・ヨム・トーブ・グルーナーが語ったことが、かなり終末論的で、興味深かったので紹介したい。

なお、キリスト教の中でも終末論は様々であるように、ユダヤ教の終末論も宗派やグループによって異なっている。終末論などとはまったく無関係なグループもある。このラビの言うことがすなわちユダヤ教とは考えないように注意されたし。

・・・新年は、ユダヤ人がまず裁きを受けることを意味している。その10日後のヨム・キプールでは、まずユダヤ人に判決が下り、ユダヤ人のための贖いがなされる。

その後に続く仮庵の7日間は、罪から聖められ、神に近づけたことを喜ぶ例祭である。これこそが、ユダヤ人の最高の喜びだとラブ・グルーナーは語る。しかし、今のこの時点では、喜びはいかに大きくても、まだ地上の仮の住まいー仮庵である。

仮庵最終日、7日目のホシャナ・ラバは、いわば最終の判決の時で、この日、ハルマゲドンの戦いが起こり、ユダヤ人関連問題で戦っていた異邦人の諸国が裁かれる。これが地上の最終日となる。神は、裁きを最後の最後まで引き延ばされ、人々の悔い改めを待ってくださるのだが、これで本当に最後になる。

その翌日にあたる8日目は、シムハット・トーラーと呼ばれ、通常は神のことばが与えられたことを祝う。しかし、同時に、自然の世界は終了し、その後に来る超自然の世界、いわば、”新しい天と地”を覚えて祝う。

この日には、ユダヤ人たちは、仮の住まいを象徴していた仮庵に、もはや入ることはなく(入ることを禁じられる)、シナゴグなどで、ただただ喜びのダンスを捧げる・・・

ラビ・グルーナーのシナゴーグでは、シムハット・トーラーの日に入る夜に5時間、翌日にも5時間、休みなくぶっとうしで踊るのだという。

福音派キリスト教の終末論では、ヨム・キプールの日にイエスが再臨するというものもあるが、ユダヤ教では、メシアがくるタイミングと、例祭には直接の関連はないとのこと。

ユダヤ教では、基本的にメシアは、いつ何時来てもおかしくない。明日にでも来て欲しいと思っているのだと言っていた。
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