レバノンのハリリ首相辞任表明:サウジでイランの危険性を証言 2017.11.7

 2017-11-07
中東情勢が大きく動く可能性が出てきた。4日土曜、レバノンのサード・ハリリ首相(スンニ派)が、サウジアラビアの首都リヤドにて、首相職を辞任すると発表した。理由は、レバノンでシーア派が急速に増強しており、暗殺の危険性を察知したからだと述べている。

サード・ハリリ首相は、辞任表明において、レバノンでのイランとヒズボラの台頭がいかに危険であるかを述べていた。これは、イスラエルが日頃から発している警告と同調するものである。

イランは中東を掌握しようとしているー。ハリリ氏の辞任演説から、イランを警戒するのがイスラエルだけでなく、サウジアラビアなどスンニ派アラブ諸国も同じであるということが明らかになった。

https://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-5038232,00.html

*最近のレバノン情勢

レバノンは、1975年以来、スンニ派、シーア派、クリスチャンが泥沼状態の内戦を続けた。この間、PLOがレバノンから攻撃してきたことで、イスラエルもレバノン戦争にまきこまれている。これを終結させたのはシリアだった。シリアは1990年に軍をレバノンに送り込み、力で、内戦を終結させた。

この時、反シリア派でマロン派クリスチャンのミシェル・アウン氏はフランスに亡命。以後、レバノンでは、イランと関係の深いシリアが、事実上の支配者となり、一応の平和を維持した。この間に、シーア派の過激派組織ヒズボラが生まれ力をつけるようになっていった。

シリアが事実上の支配を続ける中、レバノンを指導したのが、ラフィーク・ハリリ首相(今のサイード・ハリリ首相の父)である。ハリリ父首相は、サウジアラビア国籍も持つ大富豪であったことから、自らの財産を投資して基金を作り、内戦で破壊されたレバノン復興に勤めた。

しかし、スンニ派であったために、シーア派を支援するシリア軍に反対する立場をとっていたことから、2004年に暗殺された。暗殺はシリア軍によるものとみられた。これを受けて、レバノン市民が激怒。反シリア運動を展開(杉の革命)し、シリア軍を撤退させたのであった。

この時以来、父の意志を継ぎ、政治家になったのが、今のサード・ハリリ氏(47)である。ハリリ氏は、2009年に選挙で首相に就任したが、強くなったヒズボラの政界への進出を受け、政権は崩壊させられてしまった。その後は、ヒズボラ系のミカーティ政権が政権を担った。

2014年、前スレイマン大統領が任期満了となると、レバノンでは、だれを大統領にするかでもめるようになった。この時、サード・ハリリ氏は、フランスへ亡命していたアウン氏を呼び戻して大統領にすることを認め、その代わりに首相の座を求めた。これが実現し、サード・ハリリ氏は、2016年にレバノン首相に返り咲く。

ところがである。このアウン大統領(マロン派クリスチャン・81歳)は、かつてレバノンを支配していたシリア軍とシーア派に反対したからこそ、国外へ亡命させられていたにもかかわらず、今はイラン、シーア派を支持する立場に変わっていたのである。

レバノンでは、アウン大統領により、急速にイランの影、ヒズボラの力が強くなり、サード・ハリリ氏はまたもや暗殺を危惧する立場におかれるようになったといいうわけである。

<中東情勢:スンニ派諸国、シーア派諸国の対立>

現在、中東では、スンニ派諸国とシーア派諸国に分かれて、争う形になりつつある。おおざっぱではあるが、サウジアラビアを代表とするスンニ派諸国にはアメリカがつき、イランを代表とするシーア派諸国にはロシアがつくという図式である。

この二者の直接の対立地点はイエメン。サウジアラビアは、イエメン政権を支援し、イランはそれと戦うシーア派のフーシ派を支援して、激しい戦闘が続く。イエメンでは、コレラも蔓延しており、今も悲惨な内戦状態にある。この戦いは、イエメン人どうしではなく、サウジとイランの戦いである。

4日、イエメンから、サウジアラビアに向けて弾道ミサイルが発射され、サウジアラビアの迎撃ミサイルがこれを打ち落とした。幸い被害はなかったが、フーシ派が、このようなミサイルを保持しているわけはなく、明らかにイランがサウジアラビアを攻撃したものであった。

http://english.alarabiya.net/en/News/gulf/2017/11/04/Saudi-Arabia-intercepts-missile-from-Yemen-northeast-of-Riyadh.html

このように、イランとサウジアラビアの対立が激化する中で、ハリリ首相のイランを非難しながら辞任表明となったため、サウジアラビアが、イランとの対決姿勢を明らかするために計算して行ったことではないかとも言われている。

これを裏付けるかのように、ヒズボラは、「暗殺の計画などない。サウジアラビアがハリリ首相を強制的に辞任させたのだ。」と反論している。

http://www.bbc.com/news/world-middle-east-41878364

*サウジアラビアの権力集中と近代化?

シーア派との対立が深まっていく中、スンニ派のサウジアラビアは、これまでになくアメリカに接近している。トランプ大統領が就任早々にサウジアラビアを訪問し、スンニ派諸国の首脳たちを集めて、一致してシーア派に対抗するよう、たきつけたことは記憶に新しいところである。

この後、サウジアラビアは、アラブ首長国連邦など、スンニ派諸国と組んで、イランにつくカタールへの厳しい経済制裁を開始した。

また、サウジアラビアの副皇太子からの昇格で、次期国王に指名されているモハメッド・ビン・サルマン皇太子(32)は、ライバルとなりうる王子たちを失脚させながら権力の集中をはかりながら、サウジアラビアでは厳禁であった女性の車の運転を認めるなど、近代化、欧米よりの路線に舵を切っている。

また、石油にのみ頼らない国づくりを目指して経済改革を模索し、厳格なイスラム教国サウジアラビアの近代化をすすめているようである。

サルマン皇太子は5日、サウジアラビアではあたりまえになっている汚職を一掃するとして、有名なアルワリード・ビン・タラール王子を含む王族と大富豪ら11人を拘束し、世界を驚かせた。

目的は、欧米との貿易を活性化させるため、国のクリーンアップを図ったということらしいが、当然、権力集中という目的もあると思われる。

ハリリ首相の辞任演説は、この11人拘束の直前であった。さらにその少し前には、アメリカのクシュナー中東関係補佐官が、突然、サウジアラビアを訪問していたことから、これら様々なことの背後で、アメリカがなんらかの糸を引いている可能性も考えられると分析する記事もある。

http://www.jpost.com/Opinion/Skeptical-of-Saudi-Arabia-508219

サウジアラビアなどスンニ派諸国がアメリカに接近し、イスラエルにも接近していることは、イスラエルには有利な展開と言えるが、どこまで信頼できるかはわからず、イスラエルとしては、あらゆる想定を予測しながら、注意深く状況を見守っているというところである。

<ハリリ首相辞任:イスラエルにはどう関係する?>

レバノンからハリリ首相がいなくなれば、今後、レバノン内部で、シーア派のヒズボラとイランの台頭を防御する力がなくなる。アウン大統領がイラン支持派である以上、レバノンは急速にイラン傀儡になっていくと考えられる。当然、イスラエルには非常に危険な状態である。

11月1日、シリアのホムス近郊、レバノンのヒズボラへ搬送されるとみられた武器庫が空爆され、一時シリア軍と応戦状態になったことはお伝えした通りである。

イランからとみられる武器は、レバノンに入る前にシリアで排除しておかなければ、レバノンに入ってからでは、ヒズボラとの対決になってしまう。イスラエル軍とみられるこうした攻撃は頻度をましており、この数週間で、これが3度目である。今後、こうした武器搬入への警戒はますます必要になっていくだろう。

ヒズボラとイスラエルの対戦は、いつかは発生するものとは誰もが考えているが、この流れからすると、次回の戦争は、イスラエル対ヒズボラではなく、イスラエル対レバノン、背後のイランとの戦争という構図になっていくとみられる。北部情勢の緊張は高まったといえる。

http://www.jpost.com/Arab-Israeli-Conflict/Report-Israel-attacks-Syrian-weapons-depot-Arab-media-claims-512102
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ゴラン高原のドルーズ村での危機 2017.11.7

 2017-11-07
北部情勢が緊張する中、3日、ゴラン高原のドルーズの町マジダル・シャムスと、国境をはさんで向かい側、シリア領内にあるドルーズの町ハダールで自爆テロが発生し、9人が死亡。これに続く銃撃の流れ弾で、イスラエル側、マジダル・シャムスのドルーズ1人が負傷した。

これを受けて、ハダールにいる家族を助けようと、マジダル・シャムスの住民10人ほどが、国境フェンスを超えて、シリア側へ行こうとした。イスラエル軍があわてて連れ戻したという。

ハダールはシリア政府側の拠点のひとつである。そのため、今回、ハダールで、反政府勢力のアル・シャムス(アル・ヌスラ)が自爆テロ、ならびに戦闘を展開したのである。

マジダル・シャムス住民は、これまで、自分はシリア人だと主張し、暴力には出ないまでも、静かにイスラエルに反抗する態度を続けていた。しかし、シリアが内戦となり、信頼していたアサド政権の残虐な行動が報じられる中、複雑な立場におかれるようになっていた。今は、家族を救えるのはイスラエル軍しかない。

マジダル・シャムスの指導者は、「イスラエルにシリアを攻撃してほしいとは要求しない。しかし、IDFは、ヘルモン山から、監視して必要ならシリアへ入らずに攻撃もできることを知っている。ハダールを守ってほしい。」とイスラエルに要請を出した。

これを受けて、イスラエル軍は、「イスラエルはドルーズの人々を守る。」約束する声明を出した。

https://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-5038041,00.html

*ハダールとマジダル・シャムス:シャウティング・ヒルの悲劇

ハダールとマジダル・シャムスは、どちらもドルーズの村だが、1967年の六日戦争で、シリアとイスラエルに分断され、行き来ができなくなった。このため、分断された家族は、かつて谷をはさんで叫びあって安否を確かめるしかなくなった。マジダル・シャムスには、「シャウティング・ヒル(叫ぶ丘)」と呼ばれれるスポットがある。この様子は映画のドラマにもなっている。

今は、電話やインターネットで連絡がとれるので叫ぶ必要はない。また必要であれば、第三国で家族が顔を合わせることも可能である。しかし、イスラエルとシリアに国交がないため、今も家族は分断されたままである。

このため、今回、向かい側のハダールで自爆テロと聞き、マジダル・シャムスのドルーズたちは、家族を助けようと、国境を超えてハダールへ助けに行こうとしたのである。

<複雑な立場のイスラエル>

この事件について、イスラエルは若干複雑である。今回、ハダールで自爆テロを決行したゴラン高原の反政府勢力アル・シャムスと、水面下で取引をしているとみられるからである。

イスラエルに隣接するゴラン高原周辺は、シリア政府軍ではなく、反政府勢力アル・シャムスが優勢である。このため、地域の治安を守る為、水面下で、彼らと取引をしたとみられるのである。

その取引とは、シリア人負傷者(戦闘員含む)を一時的に引き取ってイスラエルで治療するかわりに、イスラエルには手出ししないよう約束させたとも言われているのである。*負傷者は、治療が一段楽すればシリアへ返還される。

Times of Israel によると、2013年以来、イスラエルが治療したシリア人は3100人に上るという。同紙は、この10月にもろばに乗せられて、ヘルモン山のイスラエル側へ搬送されてきた負傷者についての記事を出している。

https://www.timesofisrael.com/arriving-on-donkeys-syrian-war-wounded-seek-israeli-help/

今回、イスラエルは、ドルーズを守るために、ハダールの住民を守ると約束したが、それは、アル・シャムスを攻撃するということであり、約束を破るということにもなりうるのである。ドルーズを守るか、イスラエル市民を守るか。難しい状況である。

なお。シリアでは、ISISの拠点ラッカが陥落し、支配域はかなり小さくなったが、今も自爆テロで、難民を75人も殺害するなど、あいかわらず危険な存在である。また、ISISが撤退した空白に、イランが入り込んでいるとの情報もある。

イスラエル軍は、日々、様々な方法を駆使して、情報収集を行っている。エージェントたちが、必要な情報を得ることができるようにと祈る。

https://www.timesofisrael.com/druze-break-into-syria-from-israel-idf-brings-them-back/
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ガザからのテロ・トンネル破壊とパレスチナ情勢 2017.11.2

 2017-11-02
月曜、ガザからイスラエル領内に続いていた地下トンネルが崩壊。イスラム聖戦武装兵ら少なくとも7人が死亡。12人が負傷した。死亡した7人の中にはイスラム聖戦の高官2人、ハマスの高官2人が含まれていた。

https://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-5036250,00.html

これについて火曜、イスラエル軍は、トンネルを破壊したことを認める声明を出した。イスラエル軍によると、トンネルは、ガザ地区カン・ユニス難民キャンプからすでにイスラエル領内10数メートルまで入り込んでいたという。イスラエル軍は、ガザに入って破壊したのではなく、イスラエル領内からこれを破壊していた。

領内とはいえ、現場に最も近いイスラエル人居住地キブツ・キスフィムまではまだ2キロの地点であり、危険が市民に及ぶまでに十分な地点で作戦を実行したということである。

イスラエル軍は、以前よりガザからのトンネル対策として、ハイテクを駆使した新技術を開発中と言っていた。ネタニヤフ首相によると、今回それを初始動させたとのこと。

https://www.timesofisrael.com/palestinians-say-at-least-5-dead-9-injured-as-israel-blows-up-gaza-tunnel/

イスラム戦線は、トンネルを破壊されたのち、「このトンネルは、イスラエルに収監されている仲間の釈放と交換するイスラエル人を誘拐するものであった。」と発表した。

その上で、「トンネル破壊はイスラエルによる虐殺行為だ」「我々の安全を脅かす行為は断じて受け入れられない。」として、イスラム聖戦は、「目には目を。血には血を。」との原則を強調し、イスラエルへ報復すると宣言した。

*イスラエルの存在そのものへの挑戦

イスラム聖戦は、あくまでも、トンネルを攻撃したイスラエルを非難する。しかし、トンネルは、自らも認めているように、イスラエルに対するテロに用いられるものであり、すでにイスラエル領内にまで掘り進んでいたからこそ攻撃されたのである。さらにトンネルの破壊そのものは、ガザ内部ではなく、イスラエル領内で行われた。ガザに脅威となるものではなかったはずだ。

にもかかわらず、トンネルが破壊されたからには、「防衛のために戦う。反撃する。」というのは、どうにも理解に苦しむ態度である。今にはじまったことではないが、先に攻撃しておいて、イスラエルが反撃、または対処をしたら、それをもって被害者の顔をするのである。

これは要するに、イスラエルの存在自体が悪だと言っているということである。その悪と戦う自分たちへの攻撃は、なんであれテロ行為であり、たとえ自分達からしかけた争いであっても、それに反撃された場合、「防衛」ということになるのである。

この争いに終わりがあるとすれば、イスラエルが、消えることしかない。いうまでもなく、これはありえないことである。

<ガザからの報復はあるか?>

トンネルの破壊から2日目、今の所、反撃はない。今回のトンネル破壊については、綿密に計算されていた可能性が高い。

イスラエル軍は、トンネルの破壊は、それ自体を目的として実行したのであって、イスラム聖戦の指導者が死亡したのは予想外だったと発表した。

しかし、実際には、トンネルがイスラエル領内にまで掘り進められていたことをイスラエルが知らなかったはずはなく、ちょうどハマスとファタハが和解へと踏み出し始めたころあい(以下に詳細)や、司令官らが、トンネルの中にいたことも踏まえて爆破に踏み切ったのではないかとの見方もある。

反撃についても計算されているはずだが、今はイスラエルと事を構えたくないハマスの意向に反して、イスラム聖戦が、勝手にイスラエルにロケット弾を撃ち込んでくる可能性はある。このため、一応、イスラエル南部には迎撃ミサイルアイアンドームが配備された。しかし、イスラエル国内に緊張感はあまりない。

https://www.timesofisrael.com/idf-chief-warns-gaza-terrorists-not-to-retaliate-for-attack-tunnels-destruction/

<アッバス議長には頭痛のタネになる?:ガザ国境の主権ファタハへ移行>

10月12日、ハマスとファタハ(パレスチナ自治政府)は、カイロにて統一政府を立ち上げることで合意。契約に署名した。それによると、11月初頭、ハマスは、エジプト、イスラエルとの国境の支配権をパレスチナ自治政府に移譲する。さらに、12月初頭には、ガザ全体の支配権をパレスチナ統一政府に移行することになっている。

この合意により、本日水曜、エジプトとEUが見守る中、エジプトとガザ、イスラエルとガザの間の検問所のガザ側支配権がハマスからパレスチナ自治政府に移行された。検問所にはアッバス議長とエジプトのシシ大統領の巨大な写真が掲げられ、主権はいまやハマスではなくアッバス議長であるということを誇示する形になっている。

http://www.bbc.com/news/world-middle-east-41830114

この流れからいくと、今後、ガザで起こる不都合は、ハマスにかわってアッバス議長が全部被ることになるが、アッバス議長には頭痛のタネになりそうである。

現在、ガザ地区の一応の支配者であるハマスは、市民の間でも権威を失い始めている。ハマスが、ガザの実効支配を始めてから10年になるが、市民の生活は悪化する一方だからである。今年1月には停電に関する大規模な市民デモが発生した。

Times of Israelがガザ市民に聞いたところ、今回のイスラム聖戦のトンネルが破壊された件について、「事件はイスラエル領内のことであり、ガザ市民には脅威ではないと言っていたという。ガザ市民たちは、もはやイスラエルとの闘争よりも、ファタハとの和解とそれによる生活改善を望んでいるようである。

つまるところ、ハマスは、めんどうな市民の世話をするという政治の部門をファタハに丸投げし、あとはイスラエルとの武装闘争に集中するという形になるということである。実際、ハマスは、ファタハとの統一政府には合意したが、まだ武装解除に応じるとは約束していない。

その上に、イスラム聖戦のトンネルが破壊された。国際社会にパレスチナ人統一を強調したいアッバス議長の前で、「たとえ、ハマスとファタハが和解してもイスラム聖戦は、それに加わらない。」と爆弾宣言したようなものである。

https://www.timesofisrael.com/islamic-jihad-doesnt-want-to-rain-on-the-reconciliation-parade/

幸い、今のところ、イスラム聖戦からの反撃はない。これは、ハマスとファタハの統一政府を仲介しているエジプトが、その威信にかけて、邪魔立てされないよう、イスラム聖戦の反撃を抑えているとみられている。この点からもイスラエル軍のトンネルの破壊の時期が絶妙であったことがうかがえるところだ。

*イランの関与?

今後懸念されることは、ガザとイランの関与である。今回破壊されたトンネルで死亡した7人のうち、2人はイスラム聖戦、2人はハマスの指導者だった。ライバルで、互いに敵対しているにもかかわらずなぜ、トンネルの中に指導者たちが一緒にいたのか。

ハマスは、おそらく、このトンネルがイスラム聖戦によって掘られていたことを知っていたが、なんらかの理由で黙認していたと考えられる。その際の考えられるのがイランの関与である。

イスラム聖戦がイランの支援を受けていることは周知だが、ハマスも、最近イランに近づき始めている。もしかしたら、イランがレバノン政府のもとで、ヒズボラというテロ組織をあやつっているように、ガザ地区でも、パレスチナ自治政府のもとで、イランがあやつるテロ組織を形成しはじめているのではないかと懸念もある。

実際、トンネル破壊の後、ハマスの副指導者で、現在レバノン在住のサレ・アル・アロウリがヒズボラのナスララ党首を訪ねた様子が伝えられた。ハマスが、2011年に、ヒズボラとの関係を遮断して以来、始めてのことである。

Yetによると、このアロウリは、親イラン派として知られており、今回のハマス・ファタハの合意にも大きな役割を果たした人物。ハマス、イラン(イスラム聖戦支援)、ヒズボラ、そしてロシア(以下の詳細)の不気味なつながりがうかがえるできごとである。

https://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-5037111,00.html

<アメリカの中東政策継続中?>

アメリカのトランプ政権は、イスラエルの主張と同様、パレスチナ問題は、国際社会が関与するのではなく、両者の直接対話が必要だと考えている。そのため、なんとか両者を交渉のテーブルにもどそうとしているようである。

しかし、イスラエルは10月、パレスチナ自治政府がハマスとの和解を進めているのに対し、統一政府を認める条件として、ハマスの武装解除を主張。それが実現するまでは、いかなる交渉にも応じないという方針を発表した。

ところが、30日、イスラエル閣僚で経財相のカフロン氏を含む政治家のグループが、ラマラを訪問し、パレスチナ自治政府のハムダラ首相に面会。

この他にも、イスラエルの国会議員らがラマラを訪問し、アッバス議長に面会。この時アバス議長が、「次期統一政府の閣僚になる者は、イスラエルの存在を認めている人物に限る。」と言ったと伝えてニュースになった。

政府間の直接対話は途絶えてはいるのだが、実際には、日常レベルの協調や、水面下でのコンタクトは続けているようである。

この背後には、なんとかしてイスラエルとパレスチナの直接対話をすすめたいアメリカのテコいれがあると考えられている。トランプ大統領は、中東特使グリーンブラット氏を10月初頭、エルサレムとラマラに派遣したほか、中旬には、クシュナー顧問をサウジラビアにサプライズ派遣している。

http://www.jpost.com/Arab-Israeli-Conflict/Abbas-Any-minister-in-future-unity-govt-must-recognize-Israel-510886
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イスラエルがシリア領内を攻撃か:プーチン大統領イラン訪問中 2017.11.2

 2017-11-02
1日夜、レバノンのニュースが、シリアとレバノンの国境(シリア側ホムス)の工場が、イスラエル空軍機の空爆を受けたと伝えた。ロシアのニュースによるとこの工場は、ヒズボラに関係する工場であった。空爆を受けて、シリアは地対空ミサイルで反撃したという。

イスラエル空軍は、2週間前にもダマスカス近郊のミサイル発射地を空爆している。このほか、流れ弾がシリアから着弾するたびにきっちりシリア領内への報復攻撃も行っている。

関係があるかどうかは不明だが、1日、ロシアのプーチン大統領がテヘランを訪問し、ロウハニ大統領と会談。アメリカがイランと超大国と結んだ核兵器開発に関する条約から離脱した場合に備えてどうするのかの話し合い、またロシア、イラン、シリアの結びつきを確認する機会になったという。

BBCによると、イランはロシアにアメリカの振る舞いに釘をさすよう要請したとのこと。

http://www.jpost.com/International/Russias-Putin-arrives-in-Iran-to-discuss-nuclear-deal-Syria-512020

<テルアビブ広域でサイレン:間違い>

北はシリアからの報復、南は、ガザのトンネル破壊に対するイスラム聖戦の報復と、イスラエルは、いつどう爆発するかわからない状態となっているが、2日夜中2時48分、テルアビブ広域にミサイルのサイレンが鳴り響き、住民を恐怖に陥れた。

数分後に間違いであったことが判明。原因は調査中とのこと。

https://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-5037454,00.html
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ベエルシェバの戦い・バルフォア宣言から100年 2017.11.2

 2017-11-02
イスラエルでは、今年、建国の大きなきっかけとなったイギリス政府の公式文書「バルフォア宣言」が出されてから今年11月2日、ちょうど100年を迎える。

これに先立ち、イギリスがパレスチナ地方の委任統治をはじめる大きな転機となったベエルシェバの戦いから100年を記念する国家行事が10月31日、ベエルシェバにて執り行われた。

なぜイスラエルがこれを祝うのかといえば、結果的にはこの戦いが、パレスチナ地方のトルコによる支配を終わらせ、イギリスが支配権をとったことで、ユダヤ人の移民が進み、建国への大きな足がかりになっていったからである。

ベエルシェバの戦いは、世界にとって、またイスラエルにとってのターニングポイントになったのである。

ベエルシェバの戦いは、イギリスを中心とする連合軍と、ドイツ、オスマントルコとの戦いであった。ここで連合軍として戦ったのが、アンザックとよばれるオーストラリア・ニュージーランドの将兵である。このため、ベエルシェバには、大きな十字架を掲げたアンザック将兵たちの広大な墓地がある。

31日には、この墓地で、ネタニヤフ首相、オーストラリアのターンブル首相、ニュージーランドのレディ総督が出席する中、国家記念行事が盛大に執り行われた。

http://www.bbc.com/news/world-australia-41826602

式典では、ネタニヤフ首相たちが参列する中、クリスチャンであった兵士たちのために様々な賛美歌が流れ、詩篇23篇が朗読された。一方で、オーストラリアのアボリジニが伝統の楽器を奏でたり、ニュージーランドのマオリ族の祈りがささげられるなど、若干霊的戦いを思わせる場面もあった。

100年前を彷彿とさせるアンザックの騎馬隊が再現され、人々はこの歴史的なできごとと、そこで命を落とした兵士たちに思いをはせていた。

<第一次世界大戦勃発からベエルシェバの戦い>

1914年、オーストリアの皇太子が暗殺されるというサラエボ事件が発生。これを機に、ドイツ、オスマントルコと、連合軍(イギリス、フランス、ロシア)が戦争を始めた。これが人類初の世界大戦である。

この時代、パレスチナは、オスマントルコの支配下にあったが、1882年から始まった、ヨーロッパからのユダヤ人のアリヤ(移住)の波は2度目となり、テルアビブの開拓がはじめられたころだった。エルサレムは、まだ城壁の中だけにしか人がいない時代である。

この当時、オスマントルコが徐々に勢力を失いはじめていたため、イギリスは、アラブ人をあおってオスマントルコに反乱させることを考えた。そうして1915年、イギリスは、メッカの太守でベドウィンのフセイン・イブン・アリーに協力を求め、トルコ崩壊時はアラブの帝国を設立することを約束する。これがマクマホン・フセイン協定である。

その翌年1916年、イギリスは、フランスと中東をどう分割するかについて話しあった。これをサイクス・ピコ協定という。この時期、石油の重要性が注目され始めたころだった。ロシアは、ボルシェビキ(ユダヤ人)が主導する内戦が勃発したことから、世界戦争から身をひかざるをえなくなっていた。

この流れの中、まだ国を持たないユダヤ人シオニストたちが、国家設立に向けて動き出すのである。当時はまだイギリスにつくのか、オスマントルコにつくのかで判断が難しい時代だった。トランペリドールと、ジャボティンスキーは、イギリスに道を選び、イギリス軍の中にユダヤ人部隊を立ち上げるよう奔走する。

ユダヤ人は1915年のガリポリの戦い(イギリス、フランスなど連合軍がトルコのガリポリ半島へ上陸しようとして失敗した作戦)において、ろばによる輸送隊として貢献したことから、正式なユダヤ人部隊がイギリス軍の中に立ち上がった。

その翌年2017年、イギリスは、北アフリカからパレスチナ地方へとオスマントルコをおいつめたが、ガザをどうしても攻め落とすことができなかった。トルコはドイツとともに、ガザとベエルシェバを結ぶラインを固辞しており、イギリス率いる連合軍はそれより北へは進めない状態が続いた。

ここで登場してくるのがアレンビー将軍である。アレンビー将軍は、連合軍はガザへ攻め込むと見せかけ、ベエルシェバと奇襲。続いてガザも攻め落とし、そのわずか6週間後の12月、ついにエルサレムを陥落させることになったのであった。

このベエルシェバでの戦いを戦ったのは、アンザックとよばれるオーストラリア軍、ニュージーランド軍であった。アンザックは、騎馬隊で、塹壕から銃撃してくるドイツ軍、トルコ軍を前に、正面から突撃し、その頭上を飛び越えてベルシェバに突入。町を奪回したという。

この戦いで戦死したオーストラリア人兵士は173人、ニュージーランド人兵士は31人。ベエルシェバには、この戦いの面影を残す場所が多数残されている他、ここで戦死したトルコ軍兵士を記念する石碑も残されている。

http://www.kkl-jnf.org/tourism-and-recreation/israeli-heritage-sites/anzac-trail/sites/anzac-sites-beersheba/

<バルフォア宣言>

ベエルシェバでの勝利の数日後の11月2日、イギリスのロイド・ジョージ内閣のバルフォア外相が、シオニズム運動を支えていた第2代ロスチャイルド卿に、ユダヤ人のホームランドを設立することに全力を尽くすと書いた書簡が送られた。これがバルフォア宣言である。

この書簡は、先の2つの協定とは違い、イギリス政府の公式書簡であった。このため、戦後、パレスチナ地方でイギリスによる委任統治が始まると、イギリスは、ユダヤ人移民がパレスチナ地方(ヨルダン川より西に入ってくるのを許したのであった。

一方、アラブ側はフセイン・マクマホンの約束が守られないことに立腹する。このため、イギリスは、フランス領シリアから追い出されたフセインの息子ファイサルをイラクの国王にすえ、フセインのもう一人の息子アブドラをヨルダン側東岸んトランスヨルダンに据えた。チャーチル英首相はこれでフセイン・マクマホン書簡の約束は果たせたと考えたのであった。

いずれにしても、このバルフォア宣言は、ユダヤ人の祖国イスラエル再建への大きな一歩になったということである。

このバルフォア宣言が出されてから今年100年になる。ネタニヤフ首相は11月2日にイギリスで行われる記念式典に出席するため、1日、イギリスへ向かった。イスラエル国内での記念式典は11月7日の予定。

BBCは、バルフォア宣言は、イスラエルにとっては祝いかもしれないが、同時にパレスチナ人にとっては、解決不能な中東問題の原因になったと伝えている。

http://www.bbc.com/news/uk-41819451

<イスラエルとクリスチャンシオニストの関係>

イスラエルが建国するまでには、祈りだけでなく、実際的な面においても様々な形でクリスチャンが大きな影響を及ぼしてきた。バルフォア宣言は、通常、アセトンを発見して、第一次世界大戦中でのイギリスの勝利に貢献したユダヤ人化学者ワイツマンの功績とされている。

しかし、それだけでなく、当時の英ロイド政権に多数のクリスチャンシオニストがいたことも注目される事実である。

イスラエル人歴史学者アビ・ベン・ハー氏によると、当時の首相ロイド・ジョージ、その外相で、バルフォア宣言を書いたアーサー・バルフォアもクリスチャン・シオニストであった。

この分野を専門とするシャロム・ゴールドマン博士も、バルフォア宣言の背後には、聖書に基づくプロテスタントたちのクリスチャンシオニズムの考えが大きな影響を及ぼしたと強調する。

このことから、イギリスのクリスチャンの多くは、この時代のイギリスは、近代のクロス王(バビロン捕囚以来、ペルシャにいたユダヤ人にイスラエルへ帰るよう指示した王)だったと考えている。バルフォア宣言100周年を記念し、イギリスではクリスチャンたちによるイベントも企画されている。

クリスチャンシオニズムはユダヤ人のシオニズムより100年も遡るという。もっとも古い例は、デンマークのホルガー・パウリ(1644-1714)のケース。パウリは、突然、ユダヤ人の王、メシアであると自称し、ユダヤ人をキリスト教に改宗させ、イスラエルの地に連れていく召しを受けたと主張した。

パウリはちらし配りをしていたほか、少人数のユダヤ人を集めて家庭集会などをしていたようだが、最終的には、デンマークの政府からこれを差し止められた。パウリは、いわばクリスチャンシオニストの走りのようなもので、ユダヤ人の歴史には、「宗教ファナティック(極端)」と記録されている。

近年においては、福音派クリスチャンがクリスチャンシオニストとして、イスラエルをサポートしている。これについて、今のイスラエルのユダヤ人たちは、「ユダヤ人がイエスを信じることで再臨があると考えているからだ。」と懐疑的になっている。しかし、それも少しづつ変わってきているようでもある。

バルフォア宣言100周年にあたり、エルサレムポストがクリスチャンシオニストたちに関する記事をだしていたが、それによると、今の福音派クリスチャンは、パウリほどユダヤ人改宗に熱心ではない。中には、純粋にイスラエルの再建をただただよろこんでいる者もいるとも書いている。

そのまま喜んでいいのかどうなのか複雑なところだが・・・

イスラエル政府も、これからの時代、クリスチャンしか見方はいないと判断。先日もクリスチャンメディアサミットを政府みずから開催し、イスラエルへの支持を求めたところである。イスラエルとクリスチャンの関係が今、新たな時代に入りつつある空気を感じ始めている。

http://www.jpost.com/Opinion/Christian-Zionism-and-the-Balfour-Declaration-508034

*イスラエル建国当時にもいた現地アラブ人のクリスチャンシオニスト

筆者の友人にナザレに住むアラブ人クリスチャンの家庭に生まれた女性がいる。彼女の父カルメル・マターさんは、すでに召されたが、生きていれば100歳になる。プロテスタントの牧師で、非常に福音的でどこへ行っても福音をのべつたえるような人だった。

マター牧師は、昔からナザレに住むアラブ人だが、聖書を読んでいて、やがてユダヤ人が帰ってきてイスラエルを再建されると確信していたという。そのため、ほかの祈りは忘れても、イスラエルの再建のための祈りは欠かしたことがなかった。そんなマター牧師を、アラブ人の友人は疎んじていたという。

しかしやがてユダヤ人の軍隊がナザレにもやってくる。マター牧師とその妻は、預言が成就したと大きなよろこびに満たされ、なんの抵抗もなく白旗をあげてユダヤ人たちを迎え入れた。マター牧師の話を受け入れなかったアラブ人の友人は、イスラエルを受け入れることができず、今もヨルダンに行ったままだという。

地元アラブ人は、通常はユダヤ人に土地を奪われ、そこから追い出されたという歴史があるので、通常は、クリスチャンであってもイスラエルに苦い思いを残す場合が多い。しかし、ただ聖書ゆえにイスラエルの再建のために祈り続け、その実現を見て、心から喜んだアラブ人クリスチャンがいたとは驚きだった。

マター牧師のように、白旗をあげたナザレのアラブ人たちは、イスラエル建国後もそのままナザレに住むことができた。

しかし、残念なことに、今に至るまでの間に、経済や治安の悪さからクリスチャンはどんどんナザレから出て行きつつある。かつてはクリスチャンが多数派であったナザレだが、今はムスリムが多数派のイスラムの町になっている。しかし、少数派ながら福音派の教会もあるという。
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